皆様ご心配をおかけしました
2009.04.27 Mon
始めに、更新しないにも関わらず当ブログを見ていただいてくれた方、ランキングにポチっとしていただいた方本当にありがとうございました。
今回お休みさせていただいた理由はなかなか説明できませんが、たくさんの方復活を促され、今回の運びとなりました。
心がまだまだすっきりしませんので、皆様に不快感を与える文章になってしまうかもしれません。
そのときは厳しく叱咤下さいます様よろしくお願い申し上げます。
今回は私の剣道人生を1から見つめ直すきっかけとなりました。
長文になりますがご一読下さい。
私は小学1年生に剣道を始めました。
3年生になると同時に防具を着けました。
とても鈍足で、運動神経のかけらもない私でした。
私を含め4人の同級生がおりましたが、5年生を終了するまでは彼らに1度たりとも勝った記憶がありません。
小学生の頃は、いじめられっ子でした。
高学年になると、いじめられる傾向こそ減ってきましたが、まだまだその傾向はありました。私が泣きながら帰ると、母はなぐさめるどころか「見苦しい」ととても叱りました。
剣道の稽古は、きつく苦しかったですが、今思うと「いつかは・・・」と言う気持ちで頑張っていたんだと思います。6年間でほとんど稽古は休まなかったと記憶しています。
6年生になると、春休みに私が病気で入院している間に、キャプテンにさせられていました。まだちょっといじめれれっ子でしたから。
しかし、そのお陰かその頃から、同級生にも勝てるようになって来ました。試合も、私が出ないと人数が足りませんので先鋒として出ていました。レギュラー1年間ではかなり負け越したと思います。部内では勝てても、試合でなかなか勝てなかったですね。
小学生の頃は、週6日稽古、日曜はほとんど試合というハードスケジュールでした。6年生の最後の最後は今で言う「燃え尽き症候群」だったと思います。
剣道が嫌いになっていました。
中学生になり、本当はバスケットがしたかったのですが(私がバスケなんて笑わせますね)怖い先輩と我が両親がおるため、自動的に剣道部に入部しました。
中学ではそれなりに頑張ったという記憶しかありません。顧問の先生がおられましたが、なんていうか熱くない方でした、というか私たちが冷めさせてしまったのだと思います。「燃え尽き症候群」をそのまま引きずりました。
地元の高校に入りましたが、中学の延長のように過ぎていきました。2年生のときに何とか二段を取りましたが、それで剣道をやめてしまいました。
その後、大学を卒業し地元に帰り、たまーに少年剣道に顔を出すようになりました。
そして、2005年1月(30才)の時、道場の事情でまさに白羽の矢が立ち、私が監督になりました。
当時は、指導者を続ける意思はなく、後任までの繋ぎでという感覚でした。
それから4年4ヶ月が経ちました。今でも私が指導者で良いのだろうかと思います。
世には、有名高校、有名大学出身、また経験豊富で、人間的にも優れていらっしゃる先生ばかり、中途半端な剣道経験しかなく、剣道のことがよく分かっていない私が指導者などチャンチャラおかしいと今でも思います。
しかし、私は指導者をさせていただいたお陰で、生まれて初めて剣道が大好きになりました。そして、感謝するようになりました。
まがいなりにも、高二まで剣道をやっていてよかった。ただでさえ、引け目を感じるのに中学でバスケやってたいら間違いなく、指導者なんてできません。ちゃらんぽらんな中学高校の剣道でしたが、それでもやっていてよかった。
中学部活の選択は、今思えば私にとって大きな選択でした。
もし、あのとき、「いいたい、好きなことするたい」と両親がいっていたら・・・・。
先輩がいい人だったら・・・・
間違いなく、私はバスケ部に入っていた。
そうしたら、このブログもなく、皆様に出会えることもなかったのです。
このようなことを、しみじみ考えました。
まだまだ、私自身の考えがまとまらず、ブログを復活させることもおこがましいと思いましたが、たくさんの方に励ましを頂き、少しずつでも前に歩かないと、と思い今回の運びとなりました。
今後のブログ、剣道指導、剣道人生どんな形になるかわかりませんが、ずうずうしくも、ブログ、指導を続けながら学び考え洗心会を存続させ、良くする事。また、一人でも剣道を好きになり続けてくれること。今はそんなことしか思いつきません。
今後とも私ともどもよろしくお願いします。
最後に、大津S先生
「危ぶむなかれ・・・・」
沁みました。
間違いなく、今回の原動力になりました。
ありがとうございました。
今回お休みさせていただいた理由はなかなか説明できませんが、たくさんの方復活を促され、今回の運びとなりました。
心がまだまだすっきりしませんので、皆様に不快感を与える文章になってしまうかもしれません。
そのときは厳しく叱咤下さいます様よろしくお願い申し上げます。
今回は私の剣道人生を1から見つめ直すきっかけとなりました。
長文になりますがご一読下さい。
私は小学1年生に剣道を始めました。
3年生になると同時に防具を着けました。
とても鈍足で、運動神経のかけらもない私でした。
私を含め4人の同級生がおりましたが、5年生を終了するまでは彼らに1度たりとも勝った記憶がありません。
小学生の頃は、いじめられっ子でした。
高学年になると、いじめられる傾向こそ減ってきましたが、まだまだその傾向はありました。私が泣きながら帰ると、母はなぐさめるどころか「見苦しい」ととても叱りました。
剣道の稽古は、きつく苦しかったですが、今思うと「いつかは・・・」と言う気持ちで頑張っていたんだと思います。6年間でほとんど稽古は休まなかったと記憶しています。
6年生になると、春休みに私が病気で入院している間に、キャプテンにさせられていました。まだちょっといじめれれっ子でしたから。
しかし、そのお陰かその頃から、同級生にも勝てるようになって来ました。試合も、私が出ないと人数が足りませんので先鋒として出ていました。レギュラー1年間ではかなり負け越したと思います。部内では勝てても、試合でなかなか勝てなかったですね。
小学生の頃は、週6日稽古、日曜はほとんど試合というハードスケジュールでした。6年生の最後の最後は今で言う「燃え尽き症候群」だったと思います。
剣道が嫌いになっていました。
中学生になり、本当はバスケットがしたかったのですが(私がバスケなんて笑わせますね)怖い先輩と我が両親がおるため、自動的に剣道部に入部しました。
中学ではそれなりに頑張ったという記憶しかありません。顧問の先生がおられましたが、なんていうか熱くない方でした、というか私たちが冷めさせてしまったのだと思います。「燃え尽き症候群」をそのまま引きずりました。
地元の高校に入りましたが、中学の延長のように過ぎていきました。2年生のときに何とか二段を取りましたが、それで剣道をやめてしまいました。
その後、大学を卒業し地元に帰り、たまーに少年剣道に顔を出すようになりました。
そして、2005年1月(30才)の時、道場の事情でまさに白羽の矢が立ち、私が監督になりました。
当時は、指導者を続ける意思はなく、後任までの繋ぎでという感覚でした。
それから4年4ヶ月が経ちました。今でも私が指導者で良いのだろうかと思います。
世には、有名高校、有名大学出身、また経験豊富で、人間的にも優れていらっしゃる先生ばかり、中途半端な剣道経験しかなく、剣道のことがよく分かっていない私が指導者などチャンチャラおかしいと今でも思います。
しかし、私は指導者をさせていただいたお陰で、生まれて初めて剣道が大好きになりました。そして、感謝するようになりました。
まがいなりにも、高二まで剣道をやっていてよかった。ただでさえ、引け目を感じるのに中学でバスケやってたいら間違いなく、指導者なんてできません。ちゃらんぽらんな中学高校の剣道でしたが、それでもやっていてよかった。
中学部活の選択は、今思えば私にとって大きな選択でした。
もし、あのとき、「いいたい、好きなことするたい」と両親がいっていたら・・・・。
先輩がいい人だったら・・・・
間違いなく、私はバスケ部に入っていた。
そうしたら、このブログもなく、皆様に出会えることもなかったのです。
このようなことを、しみじみ考えました。
まだまだ、私自身の考えがまとまらず、ブログを復活させることもおこがましいと思いましたが、たくさんの方に励ましを頂き、少しずつでも前に歩かないと、と思い今回の運びとなりました。
今後のブログ、剣道指導、剣道人生どんな形になるかわかりませんが、ずうずうしくも、ブログ、指導を続けながら学び考え洗心会を存続させ、良くする事。また、一人でも剣道を好きになり続けてくれること。今はそんなことしか思いつきません。
今後とも私ともどもよろしくお願いします。
最後に、大津S先生
「危ぶむなかれ・・・・」
沁みました。
間違いなく、今回の原動力になりました。
ありがとうございました。

